気まぐれの名無し男ー生物学への挑戦

Twitterもやってますが長文が載せられないのでブログもはじめました(n回目)。元来だらだらと書く性なのでブログくらい文を凝縮せずに書こうと思う。見る方は辛抱してください。興味ある学問は生物学なので、それに付随した話をしたいし、趣味はオルガン(を聴くこと)なのでその話もしたい、映画のことも話したい、が結局テキトーに書いていくことになろう。普段の更新率は低く、長期期間中にまとめて一気に書くことになる。

ブログタイトルの意味

①名無し男

これは私がセルジオレオーネ監督の作品、特にドル箱三部作のクリント・イーストウッドが好きだからである。どういうことかというと基本的にドル箱三部作の主人公(イーストウッドが演じる)は寡黙であり自ら名乗り出さない。(*)「荒野の用心棒」「夕陽のガンマン For A Few Dollars More」(特にこれがお薦め)「続・夕陽のガンマン The Good, The Bad and The Ugly」でそれぞれジョー、モンコ、ブロンディと呼ばれているがいわばこれはあだ名にすぎない。

* 「ウエスタン Once Upon A Time In The West 」ではブロンソンが主人公だが、その彼はハーモニカを弾く(ことがトレードマーク)のでシャイアンからハーモニカと呼ばれるが、これもイーストウッドの名無しの男にスタンスは近い。

よってこの名無し男をブログタイトルに使わせていただいた。しかし、である。今気づいたことは私はS.A.Bという名でブログなりTwitterをやっている。つまり名無し男というのは矛盾ではなかろうか? そう思ったが、名無しには次の意味がある:

 ・名前がないこと。・有名でない(=無名の)人物であること。

後者であれば矛盾しないのではなかろうか。それに「名無しの」というフレーズには権兵衛、すなわち名無しの権兵衛というではないか。それなら良しだろう。

②気まぐれの

私は気まぐれである(多分)(テキトー)。英語ではwhimのように言うらしい。もっとも私はこの単語聞いたことも見たこともないが、まあそう書いてあることだし4字なので使いやすい(kimagureよりは使いやすい)ということでこれをidに含んでいる。

③whim_sab9

9は私が1997年平成9年の苦(く)に満ちた年に生まれているから、というのはあくまでも後付けであり、本当は流行に乗ってCRISPR-Cas9をもじっただけである。

④生物学への挑戦

生物学を将来専攻したいが、あいにく私は今、前期教養課程にいる。前期教養課程というものは他大の人に説明するのが難しいor面倒であるので私は嫌いである(ではなぜ東大に来たんだと言われそうである)。ともかく生物学徒一歩手前である。私はそのために基本的な生物学の本をとにかく学んだり物理や化学などの勉強をやったりするなど修行中の段階にある。挑戦にはそのニュアンスを含む。

余談だが、東京理科大応用数学科に進んだ人に(入ったばかりの頃に)、「応用数学科って何勉強するの?」って聞いたところ「わからない」と返った。そして、「1年後期に『応用数学入門』という授業がある。よってまだ入門すらしていない」と。

⑤S.A.B.

この意味は秘密であるが、普通(「英大文字」+ピリオド)×3が意味するものは明らかであろう。日本では (「英大文字」+ピリオド) ×2である方が普通であるが。

理論生物学とは何だろうか?

 もともと「生物とは何か」(言い換えれば生物の定義)に興味を持っていた私は色々な本を読もうとし一つ手にとったのは『生命とは何か(第2版 複雑系生命科学へ)』(金子邦彦† 著)であった。同じタイトル『生命とは何か』の本はかのシュレーディンガーが出していてそれを意識した本であった。いずれの著者も元々物理出身の人である。それゆえ正直な話あまり中身を理解できていない。最初の本(のタイトル)で気になるのは複雑系という言葉である。高1の時古本で偶然手に入れたのがワールドロップという人が書いた『複雑系〜』という本でありそれを読んだことがうえ、ライフゲーム(*)についてもなかなか面白いなと思っていたので、複雑系という言葉は気になる。

† 余談だが、先日金子教授による「普遍生物学」のランチョンセミナーが駒場でありそれに参加したが有意義だった。

* 詳細は下のリンク(このブログは非常に好き)

aidiary.hatenablog.com

 では、複雑系とは何か? その前に科学とは本来どういうもの(どういう方法論を取る)かを知る必要がある。(※)ここで(この記事で必要な)要点のみ抽出すると、「自然法則を解明し未来予測ができるようにする」「全体を構成する要素要素を一つ一つ解明することにより全体が解明できるようになる(還元主義)」である。

※ 私はこういう抽象的な(哲学的な?)ことについて考えるのは好きである(ただし一方で私は感覚的にしか考えなかったり、ただ単に勉強不足であったりするため、全体の調和が崩れる)

 しかし、本当にそうなのだろうか?感覚的にはそうでは無いように思われる。そのため複雑系の思想は面白いように思われる。複雑系とは、要素要素が解明されても全体がどう振る舞うかは明らかでは無い、というシステムである。(※※)似た話として、カオス理論というものがあり、要素の微小の変化により全体は大きく変わる(バタフライ・エフェクト)という話は有名である。‡

※※ 私のことなので不正確極まりない。直々この部分は編集しようと思う。

‡ ただしカオスと複雑系の違いは、私の間では煮詰まっていないので、別記事に(すなわち将来的に)もっと詳しい話は載せようと考えている(あくまで予定)。

 いずれにせよ(強引)私の興味は生命現象を数理的に考えることにあると思う**ので、それにうまく合致した生物学というのが、タイトルにある「理論生物学」では無いかという印象を受けた。

** それを将来的な研究テーマにするかどうかは完全に別問題

 理論生物学の話に漸く移ろう。私が読んでいるのは『生命科学の新しい潮流 理論生物学』(望月敦史 編)である。なぜこの本にしたかというと、ミクロの部分が多いのかなと思ったからである(逆に巌佐氏著の数理生物学などは生態系などのマクロの部分が多く苦手では無いが興味があまりあるわけでも無い)。はじめにの部分などから少し説明を拝借すると、「『理論生物学』という言葉を『実験以外の方法に基づく生物学』という広い意味、いわば曖昧な定義で用いた」「実験と理論が…互いに与え合うことで発展するような生物学が確立されるだろうと期待」と書いてある。本の数学的な内容は、取り敢えず「常微分方程式系」「確率過程」「メカニクス」「偏微分方程式系」の分類は表示してあり、それゆえ必要な数学的知識は書いてある。前半を適当に(数学も勘案しつつ)読んだが、私としてはいつか(2年になったら)この本を使って自主ゼミ(輪講)やらないかなと思っている。逆にそう考えているのでここでこの本の話題を出したのである。

現在の学問的興味(1)ー 理論生物学、生物物理学、生物情報科学

 現在の学問的興味は日々変わり得ることを前提とする。そして現在の学問的興味は大きくは直近の読んだ本・聞いた話などに依存する。根底的な興味はもう少し上手くまとめる時間があればその時に書きたい。

 さて、「生物学への挑戦」というブログタイトルである以上生物学徒である。現在の学問的興味を学問名でいうと、「理論生物学」「生物物理学」「生物情報科学」である。これは普通の生物学をやりたくないという捻くれ者であるせいか、あるいはそれらの学問の方が実際に自分に合うからかは分からない。そして何を隠そう、実はあまりそれらの学問について勉強したことは無い。ただ単に印象に依る(そしてこうしたことは現在の学問的興味が変わる一因となっている)。

 ではなぜわざわざここにそれを記すか。それは私がそれらの学問がやれるきっかけとなれたら良いと思ったからである。自主ゼミに参加して初めてプログラミングをやるようになったし、これらについての勉強会があれば是非参加したい。あとはそれらの学問の本を買ったり借りたりしているが読むのが停滞しがちなのでここに意識高く書くことによってちゃんと読む(勉強する)ことを期待しているからである。

 もう酒に酔っているので、ここで筆を置こう(この表現は厳密性を欠くが)。

受験記(1)

 一般に過去の栄光や話を未練たらしく書くのはよろしくないとされるし実際そう思う時も多い。もう少し将来のことを考えた方がいいかもしれない。だが私のケースは私は他人にとって見る価値のあるものだと思うのでここに記録する。

 そもそも私は某木県出身でずっとそこに住んでいたわけだが中学の時なんとなく某西日暮里男子校を受験することになり(補欠ではあるが)受かりせっかくだからという理由で新幹線を使って通うことになった。この詳しい話は別記事の予定。某ks高校ではそこそこ真面目だったので100傑*であったし東大模試でもa判だったので受かるだろうと思っていたがあろうことか落ちた。他のところにはその時進学するつもりは無かったので浪人となったのだった。

*校内模試で400人のうち100番以内に入った生徒であり、100傑の人は普通はUTに受かるが……

 そういうわけで浪人である(駿台茶理系演習)。まあ今の所特筆すべき点は無く、数々の誘惑に対し、ある時は打ち勝ち、ある時は打ち勝たずという感じである。ところで、もともと私はこういう考えをしていた:実用性関係なく自分が楽しめればいいだけの研究をしてみたい、生物の本質を知りたい。だが、ある時考えは揺れ動いた:結局生物学の目指す先は人間であり、医学の研究をする方が良いのではないか、医学研究によって実用性と生物の本質両方の追求ができるのではないか。これの背景には、生物受験ができるところは限られることがある。例えば慶応の場合、理工は生命情報科学がありながら物化のみだったし、生物があるのは医学以外は看護のみだった(薬は化学のみ)。親の医学への強い勧めがあり、医学部受験を考えた。実際私立の併願校は医学部にした。しかし色々なわけがあり†、結局前期は理2という同じところに再挑戦した。

† これについては別記事で詳しく書きたい

紆余曲折はここでは省こう。受験の結果を先に結論として書く。

国立前期:UTS2 ……合格→進学

私立大学:順天堂……合格

     日本医大…補欠合格

     慈恵医大…一次合格、二次は慶医のため棄権

     慶応薬……合格

     慶応医……一次不合格

国立後期:山梨医……足切りは突破、既に受かったので行かず

おまけ センター:761/900 (現役より-33点)、国語109/200(24-11-50-24) (現役より-50点)

まずセンターの勉強をせずに私大対策に費やしたために悲惨だった。国語は偶然調子がおかしく小説に5分しか費やせなく勘が優れていなかった。その他も書きたいが少し面倒になったので詳しい受験報告は別記事にしよう。

 ここで一旦まとめよう。何を伝えたいかというと、東大と医学部を併願するのも珍しいけどアリなのではないかということだ。あとは東大が別に最強とは思うべきではないということも付け足すべきである(大学としてではなく入学のしやすさ的な問題)。

映画観(1)

 もっともこれはデータ化されていて、watchaというアプリをsabという名前で登録して、私が何の映画を見たか、どう評価したか(*)、どういう傾向があるのか、どんな俳優・監督を好むのか、(もし自己の情報も入力すれば)どの程度親和性があるか、などがわかる。なお、気軽にそれは(友達)追加して構わない。

* 星5つあるが私の基準はこうである:

 星5……何この映画最高すぎるんですけど(鳥肌ものの凄さ)、星4……すごい面白い!最高!、星3……普通(もっとも私の普通は良い、つまり普通でも見て面白かった(良かった)とは思っている)、星2……酷い

これに、俳優の良さ、冗長さ、芸術的価値などを勘案し星半分を増減している。

 さて、では最近私の中で話題になっているものは何か?私が良い、上手いと思った監督はセルジオ・レオーネという監督である。作風は画としては顔のどアップと壮大な風景を対比していて、音楽は大抵エンニオ・モリコーネという映画音楽の最高峰が作っていて、しかもどういうわけだか長い。しかし、不思議なのは私にとってその長さは全く気にならずむしろちょうど良い長さだと錯覚させられる。例を出せば最近見た彼監督の『ウエスタン』という映画では最初の10分はほぼ台詞なしでただ野郎どもと駅の風景が流れる。がこれがまたどういうわけだか飽きない。逆に、実は『2001年宇宙の旅』は好きでない映画である(他のキューブリック監督作品では良いと思うものはある)が、その一つとして冒頭の猿のシーンが三分くらいで飽きるのに10分以上ある点である。元に戻ると、最初に彼の作品を見たのは『夕陽のガンマン』である。この映画の男同士の会話、物静かな会話、ハードボイルド感が漂う雰囲気、魅力的な主人公たち、ストーリーの面白さ、ついでに音楽の良さ、そうしたものがまさに一番の映画だということを決定づけた。その後残るドル箱三部作をみて、後期三部作をみた。『ウエスタン』もその男臭さは好きである(私はもともと結構ブロンソンは好きな俳優だと思っていた)。良さは言うまでもない(と言うよりは言葉にすればするほど良さが薄れていくものである)。『Once Upon A Time In America』は露骨な下ネタが多いのは好かないが、ラストで面白さが伝わった、つまりようやくラストで全体の雰囲気がわかった(よってこの映画はいずれ見なければならない映画である)。

 映画鑑賞趣味とは大変都合が良い趣味であり、困ったら映画鑑賞とかける。忙しくてあまり見てなくてもバレない。なぜなら個々によって見る映画が割と異なるからである。私の場合は最近の映画は全然見ていない(La La Landくらいである)がクラシックな映画は見ているし、アメリカ映画は見るがフランス映画はほぼほぼ見ない。しかし、まあ大学に入ったのだしなるべく見てみたいものである。

音楽観(1)

 最近オルガンを始めた(と云ってもまだ行ったのは数回だが)がそれに到るまでの道のりを書こうと思う。同時に全くクラシックと関係なく好きな音楽をいくつか書こうと思う。なお、(1)とあるのは現時点での音楽観だからであり、いずれ変わるだろうからである。

 もともと小1の時にピアノを習わされた。使役形で表現するのはなぜかというと、周りにピアノを習っている男子が全然いなかったからということに加えてその頃は運動が好きで反対に音楽への興味が薄かったこと、さらにピアノが下手だったからである。但しピアノが下手なのは練習が少ないから(だと信じている)。とはいえひっそりと中3まで続けていて、高校受験とともに無期限休学である。しかし、不思議なことは、いかなるものであっても、離れてみて初めてその良さに気づくものである。自分の場合はピアノ、音楽がそうであり、色々と音楽を聴くようになったのが高1の時である。最初はジャズとか良いかなと思い、ジャズピアノとかやってみようと思った(注 但し別に上原ひろみに憧れていた訳ではない。彼女は別次元で自分は到底及ばない)がコードが面倒など面倒くさくなり挫折。その後、Ludovico Einaudi や Fablizio Paterlini、Brian Crainなどの綺麗系のピアノ音楽に興味を持ったし今でも結構好きである。Deemoとかの音楽(少女趣味は無いが世界観も好きであった)も好きだった。

 ところでその高1の頃クラシック音楽で誰が好きか?という質問に対してうまく答えられずにいた。確かに、それなりにはクラシック音楽も好きだったがそこまで聴いていた訳ではなかった。そういう時にたまたま父の音楽好きの同僚がGlenn Gould のCDをくれたのでそれを聴いていて私は感動していた。特にバッハの曲が美しく聴こえていた。それがきっかけとなって高2の時はバッハの曲のうち有名な曲をそれなりに聴いた(*)。その中で『パッサカリアとフーガ ハ短調 BWV582』(※)の音楽には感動を超える何かがあったような気持ちだった。そこでバッハのオルガン曲(主に作品番号500番台)をもれなく聴いた。そこから派生してブクステフーデ(Buxtehude)、パッヘルベル(Pachelbel)の曲とかも聴いてオルガンの響きに(も)惚れたのだった。

* その頃は学校でショパンスクリャービンなどの曲を色々と聴く授業があったのでバッハ以外の名作曲家の曲は聴いたつもりである

※ なお、この曲は私が浪人の時に冨田一樹氏が国際バッハコンクールの時に弾いていた曲でもありニュースになった。実際氏の演奏はYouTubeの氏の垢にある。自慢でないが(という言葉を使う時は大抵自慢だが)私はニュースになった日にYouTubeで動画上がってないか確かめて氏の垢を発見し登録した。氏のパッサカリアとフーガも感動ものの鳥肌が立つ(曲自体は以前にも数回聴いたことがあるにも関わらず)

 ところでいつ聴いていたか、というと、事情は別記事にするつもりだが、長距離通学だったので電車の時間暇だった。特に塾のあとは寝過ごすと家に帰れなくなるのでレッドブル飲んででも耐える必要があり、到底勉強できる訳はなく(寝てしまうから)、したがって音楽を聴くようにしていた。恥ずべき話だが意外と私はYouTubeで音楽を聴いてしまう。

 大学に入った時音楽系のサークルに入ろうと思った。ジャズを再びやろうかとかも考えたし、当初はピアノの会に入るつもりだった。だがピアノの会の人は皆上手い(逆、自分は下手)ので入る敷居が高かった。そんな時ふとした拍子からオルガンが弾けるサークルを発見したが、会費無料とゆるい雰囲気から良いのではないかと思った。あとは期間を経てどうなるか待つことにしよう。

 

ドイツ語に対しての思い

一年前は受かったらスペイン語にしようと思っていた。その理由として、

・簡単で手間がかからない

・スペイン中南米と広範囲で使われることに加え、ヒスパニックもいるのでアメリカの西海岸ではそこそこ素養があると良い

・UC系列大学卒の姉がスペイン語そこそこ知っている

があった。しかしながら、スペイン語はウェイが多いとのことで私は大学に入ってからデビューすることは完全に諦めていたので真面目系(注 私が真面目かどうかは読者の判断に委ねる)が多いドイツ語を選ぶ気になった。さらに、

・世界大戦以前は、哲学の分野、科学の分野、医学の分野においてヨーロッパ一であった(*)し、ひょっとすると現在も然りだと思ったから

・世界大戦系の映画でドイツ語がしばしば出てくるのでそれを知りたかったから

・さらに古典音楽においてもドイツ語が重要だから(※)

という理由が決定的だった。

* 科学者としてアインシュタインノイマン、ハーバー、ボッシュ、オストワルト、プランクシュレーディンガー、哲学者としてカント、ヘーゲルハイデッガーなど

※ 別の記事にするが私はバッハに魅せられその結果としてバッハに影響を受けたor受けられた作曲家の曲も聴く。未熟者なのでオペラなどの声楽を含む曲の経験は少なく今後聴きたいとも思っている。そのときにやはりドイツである。ドイツ語である。ちなみに現在のドイツ語の教官の一人の専門は音楽であり、音楽論も教えている。

しかしながら私の大学の希望は打ち砕かれた。覚えるものが多い。留学でもすればその覚える苦難を知ることは無かったが、割と調べたがあまり良い留学先が無かったうえ、留学するにもドイツ語の試験を受ける必要がある。正直、英語以外の言語は話せなくてもよいと思う。私の父がアメリカから日本に渡ったとき、はじめて日本語に触れたのは日本に向かう飛行機の中だった。それゆえ日本語はまったくしゃべれなかった。あるとき「かつ丼」という美味しいものがあると思ってレストランと思われるところに入った。そして「かつ丼」と言った。相手は何か日本語を話しているが分からない。ということで「かつ丼、かつ丼」と連呼した。時間がそこそこ経って漸くかつ丼が来た。が、トイレに入って気づいた。レストランでない、ということ。まあ、でも日本語知らなくてもおもしろおかしく日本に棲めている。結局大切なのはあまり完璧主義者にならないことであり、言語なんて30%理解すれば充分くらいの心持で行く方がいい。ゆえに仮にドイツに行こうとも英語でごり押しするつもりである(英語は話せないのは論外だが)。

そういうわけで、ドイツ語の授業は刻々と暗号が発せられるようになり子守唄と化したのだった。

 

はじめにーブログ開設の動機

現在UT(東京大学)に属している。実際来週には数理科学基礎の試験がある。が、依然やる気が湧かない。ということで新たに始めた。現在はTwitterで概ね満足しているが一点満足しないことがある。それはまとまりのある話ができないことである。字数制限の存在により圧縮して書く必要性がある。入試で鍛錬されたとはいえ、元来薄い内容をだらだらと書きたい文才の皆無な人間にとってはつらい。故にはじめた。あとはタイトル下の説明のとおりである。